逃げろ、娘さん!

追う母、逃げる娘の日々

悪気がないことの怖さ

母は思ったこと、心に浮かんだことを

そのまま口に出す人だ。

家族に対してはなおさら。

それは、「家族はすべてわかり合い、助け合うべきだ」

と考えているから。

それはまったくの間違いではない。

けれど。

 

母が言う言葉で私を追い詰めるもの。

「あんたは私から生まれて、私とあんた同じ血が流れているのよ」

という言葉。

だからわかり合えるはずだ、わかり合わなければならない、と。

 

ついに「血」を持ち出したか……。

わかり合えたらいいと思う。

けれど、わかり合うのにはある程度の努力が必要で

努力しても互いに傷を負って苦しくなるくらいなら

いっそ、少し距離を置くことも大事じゃないか、と。

 

というより、本来別人格なのだから

もともと適正な距離感はあって当然なのではないか?

家族なんだから、すべて受け止めるべき?

思ったことはなんでも言ってOK?

あなたを受け止めたら、私は自分がつぶれると思う。

それでもしなければならない?

家族だから? 親子だから?

 

それをいくら言っても伝えても伝わらない。

私が言っているのは、そんなに冷酷なことだろうか。

 

母は、家族になら、あるいは自分の子どもに対してなら

何を言ってもいいと思っている。

それが、心を開くことだと。

私が子どものころからそうだった。

身体的なことや、性格的な弱点。

太っているとか、顔のつくりがどうだとか、

だれだれはこうだけど、あんたはこうね、とか。

 

母に悪気はない。

3歳児が他人を見て「あのひと、太ってるね」というのと同じレベル。

素朴で素直な感想。

娘を傷つけようとして言っているわけではない。

だから相手が傷ついていることにも気づかない。

 

それはとても驚きで、恐ろしいことだ。

 

ずっと誰にも言わずに抱えていたこと。

蒸し返して母につぐなってもらおうなんて思ったこともなかった。

そういう人なんだな、と

傷ついても、いつの間にかあきらめていた。

 

 

けれど。

 

つづきはまた書きます。