逃げろ、娘さん!

追う母、逃げる娘の日々

親不孝でごめんね。でも・・・

自分はずっと、少数派だと思っていた。

だから、書店の「心理学」コーナーの書棚に行き、驚いた。

「母が重い」「毒親」「墓守娘」「母がしんどい」・・・

どれも母娘関係、母の存在に苦しむ娘たちについて書かれた本が

書棚のほぼ一段分を占めていた。

 

こんなにあるの?

 

ちょっと安心した。

自分と同じように悩んでいる人がたくさんいるから、こういう本があるのだ。

見えない誰かに対するシンパシー、連帯感。

 

なのに、なんで自分のまわりには

同じように感じている人がいないんだろう?

学生時代の友人、会社の同僚、ママ友との会話に

「母との関係に悩んでいる」という話題はあがってこない。

それどころか、

「母と旅行に行った」

「結婚しても実家に住みたい」

「母には旦那の愚痴を聞いてもらって、助かってる」

 

そして、私がもっともうらやましいと思う、最強の言葉が飛び出すことも。

 

 「母のような女性になりたい」

 

そんな良好な母娘関係を聞いたら

ますます自分と母のこと、母への思いなど話せない。

 

以前、実家の親との同居問題でゴタゴタしたとき

ママ友にちらっと、「私は母とは住めない」という話をしたことがあった。

同居を嫌がる私と、友人の会話。

 

友「なんで同居が嫌なの?」

私「母はなんでも口出して、自分の思う通りにしたがるから、つらいんだよね」

友「ふうん・・・。でも自分の親と住むなら気楽じゃない?」

私「自分の親とはいえ、適度な距離感ってあると思う。昔から束縛されることが多   かったから」

友「そうなんだ。うちはそういうの、特になかったからなあ。思春期のころ、父親が  うっとうしいとかはあったけど、お母さんに対しては感じたことないなあ」

 

軽く打ちのめされた。

そっか、きっとこれが世間一般の母娘関係なんだな。

母とうまくやれない自分が、なんだか恥ずかしくなった。

母とうまくいってないなんて話すのは、恥をさらすってことなのだ。

本気で苦しんでいるから、興味本位でおもしろがられるのもイヤだった。

 

だから、「今日は子どもをおばあちゃん(母)に預けるから」とか

花屋さんで「母の日のプレゼントにしたいんです」なんて言って

良好な母娘関係をアピールしてみたり。

 実際、はたから見たら私と母は、一見なんの問題もないように見えるはず。

もしかして、みんなひそかに問題抱えながら、

素敵な母娘を演じているのかしら?

 

これまで、努力やあきらめで、

なんとか乗り越えてきた母とのトラブル、衝突。

それが今、母と私の関係はぐちゃぐちゃで、史上最悪。

これまで積み重なってきたモヤモヤが一気に噴出して

お互いに傷つけ合って、思春期でも反抗期でもないくせに

いい年をして私はたぶん、最悪な親不孝娘になっている。

怒り、虚しさ、苦しさ、悲しさ、申し訳なさ、

いろんな思いで常に混乱している。

 

言葉で傷つける以上に、もっと静かな方法で

私は母を悲しませているだろう。

本音を言わない、心を開かない、ときには嘘もつく。

 

それはどれも、自分の心を守る方法。

そうでもしないと、自分が壊れそうになる。

 

ブログタイトル「逃げろ、娘さん!」は

無責任にすべてをなげうって逃げ出す、というより

母娘関係が破たんしないために、上手くかわせるところはかわそう、

自分を守るために、という思いを込めています。

 

ときには「逃げる」ことも大事だと思うのです。