逃げろ、娘さん!

追う母、逃げる娘の日々

母は娘の支配者であり理解者という、ややこしい関係

初投稿からずいぶん期間があいてしまいましたが

その間も母とは毎日のように衝突があり

それをそのまま書いてしまうとただの悪口大会になってしまうので

ブログを更新できないまま。

今日はできるだけ冷静に。

 

母の存在が「恐怖」となったのはいつからだろう。

子どものころは、成績が悪いと怒られる、勉強しないと怒られる、

好きなようにテレビや漫画を見せてくれない、ピアノが上達しないと怒られる、私より優秀な人のことを挙げて、比べる。

まあ、よくある話ですね。

そのときの私にとって母は、「支配者」だったのだと思う。

でも小学生のときの自分は、せいぜい「〇〇ちゃんだってこうしてる」とか

これまたありがちな言い分を必死に伝えるだけで

「よくある反抗期」で片づけられていた。

まともに対抗する知恵も生活力もなかった。

 

中学・高校時代も、部活選びに反対されてやりたいことができなかったり

成績のこと、進路のこと、友人関係、あれこれ口出しされて

決定権はいつも母だった。

父も厳しい人だったけれど、なにせ仕事人間だったので

家のこと、子供のことは母にゆだねていた。

今思えば、もっと父に相談することができていればと思う。

父はもっと長い目で、もっと広い視野で、ものを見ていたと思うから。

 

母は「支配者」であると同時に、「理解者」。

そう思い込んでいたところがあった。

成績が悪くて怒るのも母だけど、成績を上げるために塾を選んだり

成績が上がって、ほめたり、

何かいいことをしたときに喜ぶのも母だったから。

そこが子どもの弱いところなんだと思う。

私の弱さでもあった。

 

あれ? と初めて違和感を感じたのは、高校生のときだった。

母は私が大人の人と話をしていると、いつも割り込んでくる。

親戚のおじさんやおばさん、近所の人なんかと

学校の話や友達の話をしているとき。

 

「〇〇ちゃん(私のこと)もお年頃よね」

と、恋愛的な話がふられれば、私が答えるより先に

「この子はね、共学だし、いろんなお友達がいるの。男の子も女の子も。そういう中でいろんな人を見ていければねえ」

 

「お母さんと姉妹みたいね」

私は「??」と思いつつ、母は

「そうかしら? そうね、友達みたいな関係ね」

(いや、そうでもない…と私の心の声)

 

「〇〇ちゃん、きれいになったね」

そんな社交辞令に私が謙遜するまでもなく

「いやあ、この子なんて駄目よぅ~」

 

決定的だったのは、私が成績のことで悩みすぎて

テストに精神的に不安定になり、眠れなくなった高2のとき。

 

正直、そのときの私は参っていて

“本当に病む一歩手前”だったと思う。

ある教科が救いようがないくらい悪かった。

その教科の先生がまた厳しくて、正解が答えられないと教室で立たされ、

「こんなのもわからないの? ウソでしょ?」と嫌味を言われ続けた。

その教科のためだけに、留年するかもしれない、と恐怖だった。

 

そんな状況で、テスト前にパニックになった。

母は、すぐに近所の総合病院に私を連れていった。

今のように、心療内科的なものがまだ一般的ではなくて

そのとき診察してくれたのは、内科の先生だったと思う。

 

 「娘がテストのことで悩んで、眠れないっていうんです、それで眠れるようにしてほしいんですけど……」

いつもの調子で母が一方的に話し出した。

そのとき。

「お母さん、ちょっと外に出ていてください」

診察してくれる女医さんがきっぱり言った。

母は顔をこわばらせ、しぶしぶ出て行った。

私は自分でそのときの自分の状況を女医さんに話した。

女医さんが言った。

「お母さんがあれこれ説明するから、自分では何も言えない子かと思ったけど

そうではないのね。じゃあ、あなたはどうしたい? ちゃんと眠れたほうがいい?」

 

不眠症やらテスト前の不安やら学校の先生の暴言は

当時の世間知らずの私にとって、

人生がかかるくらい大問題だったけど

それとはまったく別のところで「扉が開いた」感じがした。

 

あ、そうか。

これじゃだめなんだ。

 

絶対的な存在の母に支配され、きゅうくつだと思いつつ

私自身も母に依存していた。

私がぼんやりしているから、母に出る幕を与えすぎているのだと。

 

母は、自分が理想とする親子関係や家庭環境を追求して

周囲にもそれをアピールしたがった。

そこに私もあてはめられて、母の人生の「娘役」を

一生懸命に演じていた。

そうすれば、楽だったから。

母も機嫌よく、ほめてくれて、それは「理解」だと思っていた。

 

支配者=理解者

支配=依存

 

そこまできちんと頭の整理ができるようになったのは

高校生からまたずいぶんと長い時間が必要だった。

母との関係で悩み、衝突したり、

母子関係のトラブルの本を読んだり、

いろんなことをして、やっと理解できたこと。

理解できたからといって、関係が改善もしていない。

 

それでも、あの女医さんの言葉は

私にとって、ものすごく大きかった。